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トリプルアクセルの先駆者!伊藤みどりはアクセルを追求する女王

伊藤みどりさんは元フィギュアスケーターで、1992年アルベールビルオリンピック女子シングル銀メダリストです。

「銀メダリスト」というイメージより、「女子選手として初めてトリプルアクセルを成功させた選手」という印象の方が強いかもしませんね。

現在53歳の伊藤さんですが、現在もフィギュアスケートに携わっていて、自身もスケートリンクで競技を行っているというのが驚きです!

今回は伊藤さんのトリプルアクセルの凄さや、成功までの道のり、現在の様子などを書いていきます。

当時のことを知っているかたは当時のことを思い出しながら読んでみてください^^

伊藤みどりにとっての「トリプルアクセル」とは?

当時、まだ女子選手でトリプルアクセルを成功させた選手がいない中、1989年の世界選手権で伊藤さんはトリプルアクセルを成功させました。

当時誰も挑戦していなかった「トリプルアクセル」に挑戦しようと思ったのかという問いに、

伊藤さんはあるインタビューで「自分の武器であり、話題作り」と明かしています。

誰もやったことがないので話題になると思ったみたいです。

確かに話題になりますけど、それを有言実行するのがさすがプロですよね。

それ以外にも「伊藤さんのトリプルアクセルが見たい」といって観に来るファンの声があったのも理由一つだったみたいです。

世界選手権で優勝した1989年は、プログラム全体をきれいにまとめればトリプルアクセルがなくても正直優勝できたと思ったみたいですが、

ただ、どうしても「トリプルアクセル」を飛んで優勝したかったみたいです。

やっぱりトップの選手はすごいですね!

出典:NHKニュース

伊藤さん曰く

浅田真央ちゃんのトリプルアクセルは高さがある。

紀平選手はトリプルアクセルは軽やか。

私(伊藤さん)のトリプルアクセルは「幅」がある。

羽生選手なんかは難しいステップからふっと飛んじゃう。

と、色んな形のトリプルアクセルがあることは話していました。

伊藤さんは現代の選手のスケートもしっかり見られていて、

現代の選手に必要なものがあり、それは「身体の柔らかさ」とのことでした。

昔はひとつでも武器を持っていれば活躍できたけど、今は求められるものが多様化している。

もちろんケガ予防の意味もありますが、ビールマンスピンなど色々なポジションが求められるので、

「現在は“柔軟性”がとっても大切」だと。

そして、トリプルアクセルを初めて成功させた本人が「現代ではトリプルアクセルは武器にならない」

これは驚きです(笑)

成功率の低いトリプルアクセルをプログラムに組み込むよりも、ほかの3回転を2回飛んだ方が確実に点を取れる。
 
そんな中でも、『紀平選手』はトリプルアクセルを1つのプログラムに2回入れようとしたり、公式戦で<トリプルアクセル-トリプルトウループ>のコンビネーションにも成功させた。

「これが、いわゆる最先端のチャレンジなのかなと思っていて、だからこそ武器になりますし、話題になりますよね。」

と昔と今では変わってきているとも話していました。

時代の変化?進歩?は怖いですね(笑)

伊藤みどり・トリプルアクセルまでの道のり!

伊藤さんがスケートを始めたのは、3歳の頃。

家族でリンクに遊びにいったのがきっかけだったみたいです。

「スケートって歩くのより速くて簡単かも」と思ったそうです(笑)

伊藤さんの才能をいち早く見抜いたのは山田満知子コーチで、現在も宇野昌磨選手などを指導している名コーチです。

伊藤さんはスケートに専念するために、山田コーチの家に住み込みで指導を受け、まさに二人三脚の選手生活を始めます。

そして伊藤さんは、山田コーチが見抜いたとおりみるみる頭角を現していきました。

そして、1985年の中学3年生で全日本選手権で初優勝(笑)

以降なんと8連覇!

18歳でオリンピック初出場!

出典:ハフポスト日本版編集部

と物凄い成績です(笑)

しかし、18歳で初めて挑んだカルガリー大会でのオリンピックで結果は5位。

この結果によって「自分にしか跳べないジャンプで勝負するしかない」と

まだ誰も成功していなかったトリプルアクセルに挑戦することを決めたそうです。

「アクセル」ジャンプは6種類あるジャンプの中で唯一、前向きで踏切るジャンプになります。

同じ「トリプル」でも半回転多く回らなくてはならないので難易度が高く、成功者がいなかったんです。

その反面、得点も高いジャンプになります。

トリプルアクセルを成功させるために、コンビネーションジャンプと同じくらいアクセル単体の練習も行い、

よく“たかがアクセル、されどアクセル”という言葉を使っていたみたいです。

最高難度のトリプルアクセルを成功させるには練習あるのみ。ひたすら跳び続け、

約1年の特訓を重ね、伊藤さんは1989年の世界選手権で、女子フィギュアスケート史上初めて成功させ、日本人として初優勝を飾ったのです。

伊藤みどりは現在も世界に衝撃を与えている!

伊藤さんは現役を引退後、解説者として活躍されていましたが、

現在は九州に移り、北九州でスケート教室を開き、指導者として活動されいるそうです。

そして冒頭でも書きましたが、50歳を超えた今でも自身もスケートを行っているそうです!

昨年に、アクセルジャンプを飛び、見事に着氷した様子を自身のSNSで動画を公開しています。

50歳を超えてアクセルジャンプを飛ぶってどういうことなんでしょうか(笑)

オリンピック公式ツイッターも、「アルベールビル1992対現在」という文言を使い、伊藤みどりさんが銀メダルを獲得した1992年アルベールビル大会と、最近の動画を並べて投稿しています。

「伊藤みどりはオリンピックで初めてトリプルアクセルに成功したフィギュアスケーター。現在53歳でも、彼女はまだアクセルジャンプを楽しんでいる!」と紹介されています。

 この投稿に対して、海外のファンたちは驚きの様子。

それはそうですよね(笑)

「53歳でシングルアクセルのこの高さを見て!伝説の地位」

「女王!」

「タイミングが全く変わらないのが素晴らしい」

「これまで見た中で最も高い」

「伝説」

といったコメントがありました。

伊藤さんはまだまだ話題作りをしようとしてるのかもしれませんね(笑)

まとめ

本記事では、フィギュアスケート界に革命をもたらした伊藤みどりさんについて紹介しました。

アマチュア時代からプロスケーターへの道のりを振り返り、彼女の圧倒的な技術や勇気ある挑戦がいかに今の若い選手たちへの影響を与えているかがわかりましたね!

また、彼女の偉業は日本および世界のフィギュアスケート界の発展に大きく貢献しており、その名は永遠に語り継がれると思います!

これからも指導者としての伊藤みどりさんの活躍に注目していきたいと思います!

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